先月は散歩中の保育園児が交通事故に巻き込まれる、公園で遊んでいるところに車が突っ込んでくるという、痛ましくまた信じられないような出来事が続きました。
マスコミは指摘しないのですが、一つの背景があります。十年ほど前より、いわゆる「待機児童問題」が盛んに論議され、保育施設の数を増やすことが急務とされました。その結果、新設する保育園に対しては「運動場の設置義務」が無くなったのです。
つまり都市部に新しく保育園を造ろうとしても、十分な土地を確保するのは困難です。そこで近隣に公園などあれば、そこで屋外活動をすれば良い、とする指導が当局からされるようになりました。
私は今回の事故被害に遭った二つの保育園を、直接見たことはありませんが、推測するに園内に運動場や園庭が無いとしたら、園外に散歩や遊びに出かけることは、日常的なことだったのだろうと思います。
安易に「もし」という考え方を、してはならないのでしょうが、この二つの保育園に運動場などがあれば、避けられる事件・事故だったかもしれません。
本園は幸いなことに自前の運動場の他に、中央公園に隣接していますから、安心してのびのび遊ぶことが出来ますが、けして慢心せず、園児さん達の安全指導、安全確保にこれからも万全を期して参ります。
さて、今回の本題に入ります。
ある時、学校の先生から「子ども達の間でオネエ言葉が流行りだすと、クラスでいじめが発生しやすい」という話を聞きました。 オネエ言葉とは「うざい」とか「シカト」などを指します。やはり言葉の乱れは、態度の乱れとなるのでしょうか。
また時折、本園の保護者からも耳にするのが、「マジで」「ヤバイ」「超~」などの若者言葉(?)です。ちなみに本園の先生方には、そのような言葉づかいは禁じています。だって、担任の先生が「今日の給食ヤバイよね」などと園児に向けて話しかける場面を想像したら、嫌な感じがするでしょ。
園児の中には「幼児語」が、まだ抜けない子もいます。もしお子さんが「ニャーニャーがね・・・」と話しかけてきたら、「ニャーニャーなんて赤ちゃんみたい」と拒否や、否定をせずに「猫がどうしたの」と返答して下さい。それを繰り返すうちに幼児語は消滅します。
日常の場面で心を表現し、思いを伝えるには言葉しかありません。
また園児達が大人になる頃にはAI(人口知能)が発達・普及し、現在の49%の職はAIに奪われるという説があります。ではAIに奪われない残りの51%の仕事とは何でしょう。それは、アート(心の言葉をカタチにする仕事)・マネジメント(人の心と心をつなぐ仕事)・ホスピタリティ(人の心を動かす仕事)とされています。
この三つのこと(仕事)は、子どもの頃からその心と、それを表現する言葉を育んでいかなければ、大人になって急に身に付けられるものではありません。慌てる必要はありませんが、日々の場面の中で育みたいものです。