今年も様々な研修会やセミナーに参加し、沢山の講演を聴きましたが、その中で最も鮮烈な印象を受けたのが、長野県にお住まいの原田要(かなめ)さんのお話でした。
原田さんは大正6年のお生まれで、今年98歳になられますが、実にお元気で約一時間半の講演中も背筋を伸ばし、明瞭なお声でお話になりました。2010年まで長野で幼稚園の園長をお勤めだった(ということは94歳まで!)のですが、原田さんが有名なのは「最後のゼロ戦パイロット」ということなのです。
ゼロ戦は近年、宮崎駿監督のアニメ映画の「風立ちぬ」や、特攻隊員の孫が祖父の真実の姿を求める映画「永遠の0(ゼロ)」をご覧になった方も多いと思いますが、日本が生んだ当時世界最高の性能を誇る戦闘機です。
原田さんはそのゼロ戦に搭乗して、太平洋戦争の幕が切って降ろされたハワイの「真珠湾奇襲攻撃」、日本海軍の命運が決定された「ミッドウエー海戦」(日本は主力空母を失い、その後劣勢に転じます)等に参加されています。
ことにミッドウエーでは、三隻の空母がアメリカの攻撃で沈んだ後、最後の一隻となってしまった「飛龍」から原田さんが最後に飛び立った直後、この空母も被弾し大破します。全ての空母を失った飛行機は、どこにも降りることが出来ません。原田さんは燃料が切れるまで戦い続け、最後は海上に不時着し、駆逐艦に救助され、一命を取り留めたそうです。
戦後生まれの私など戦争史の本でしか知り得ない場面の数々、その場に実際にいた人のお話を直接伺っている事実に震えるような感動を覚えました。「よくぞ生き抜いてこられました。この平成26年においても、私達に戦争の事実と、平和の尊さを語って下さり、有り難うございます」と。
戦後も原田さんは大変なご苦労を経験されますが、ある時「幼稚園の園長先生を引き受けてくれないか」と頼まれます。
戦争中、沢山のアメリカ軍機を撃墜し、人を殺した自分などに、そんな資格は無いと固辞されますが、奥様から「戦争で人を殺したことを反省し、これからは人を育てる使命に生きましょう」という言葉に背中を押されたそうです。
原田さんは講演の最後に靖国神社について、このように語られました。
「確かに戦時中は、靖国神社は軍隊を強くする神社だった。しかし戦後は、戦争で亡くなった神様(神様になった方々)に、今ではこんなになりましたと、参拝ではなく報告に行くところです」
間もなく12月8日そしてお正月ともなれば、お子様を連れてお参りに行くご家族も多いことでしょう。その時は原田さんの言葉を思い出して、神様にお願い事をするのではなく、「今では・・・」と感謝の報告をしてみては如何でしょうか。日の開戦記念日を迎えます。私達は自国の歴史を正しく知り、それを後世に伝えていかねばなりません。