明けましておめでとうございます。今年もこのコラムでお付き合い頂きますので、よろしくお願いします。
今では「態度教育」という看板を掲げておりますが、それまでも躾教育には力を入れているつもりでした。それでも数年前までは、例えば朝のお迎えの際に、登園してくる園児さん達に対して、私(園長)の方から「おはよう」と声を発し、それに子ども達が「おはようございます」と返してくれていました。 ある時、これは「言われたから、言っている」あるいは「条件反射」みたいなものではないか?と考えるようになりました。そこで試しに、子どもが「おはようございます」と言うまで、私は黙っていることにしてみました。すると私の前に来た子どもは、キョトンとした表情で立ち止まり、素通りする訳にもいかず・・・と立ち往生する子が大半でした。「なんて言ったらいいと思う?」と助け舟を出すと「あっ、そうだ。おはようございます」と、ようやく挨拶が出来るような状態でした。
つまりこれで本園の子ども達は、自分から進んで挨拶をするという習慣が身についていないという実態が明らかになったのです。 それから徐々にではありますが、園児さんの方から挨拶を発することが出来るようになり、今では最年少たまご組(二歳児)でも自分から私の方に歩み寄って来て挨拶をしてくれるようになりましたし、視察でおみえになった先生方(つまり初対面の大人)にも「お客様、おはようございます」と挨拶をして、ともて喜んで下さいました。
さて、昨秋本園にみえた視察グループの一つは、前日に鹿児島県の知覧特攻平和会館を訪れ、研修を受けてからの来訪でした。その時は年長児全員が、お客様の前に並んで四月から続けてきた「和歌」の暗唱を披露したのですが、視察終了後のまとめの時間で、視察グループのリーダーである講師の先生が、「今日この幼稚園に来て、子ども達の明るく元気な挨拶や、素晴らしい和歌の朗誦を聞きました。特攻隊で出撃した隊員達が、もしこの場にいたならば、このような平和な国、素晴らしい子ども達を遺すことが出来て、俺達も逝った甲斐があった、ときっと思ってくれることでしょう」と語られました。それを聞いた時、私は涙を抑えることが出来ませんでした。
かつて在職していた先生が、「我が家の元旦はジャージを着て、カレーを食べます」と驚くことを言いました。「お屠蘇」も「おせち料理」も「お雑煮」も無いと言うのです。それでは、この先生が結婚し家庭をもった時に、どのようなお正月を迎えるのでしょうか。
このように私達は受け取ったもの(受け取ることが出来たもの)しか、次の世代へ手渡すことが出来ません。知らないこと、持っていないものは、伝えることすら出来ません。子ども達の側から言えば、親を中心とする前の世代から教えられたこと以上のことを、我が子に教えてやることが出来ないのです。
つまり子を養育、教育する立場にある私達がここで怠れば、大切な歴史や文化が途絶えてしまう可能性があるのです。日常の挨拶から、我が国の歴史まで全てをトータルしたのが、日本の文化であり財産なのです。年初にあたり、親としての責任、教師としての責任を再認識して、「何を子どもに伝え、次世代へと遺してやるか」を考えたいものです。