時おり「あかつきノート」の保護者からのページを拝見しています。例年ですと五月の連休や夏休み期間中などは、家族であそこに行きました、ここに行きましたと、TDLを筆頭にする行楽地への家族旅行の報告が満載なのですが、コロナ禍の今年は「お家時間」の過ごし方が多かったです。こんなところにも変化が現れているのですね。

 さて思わず微苦笑した、「家庭から」がありました。そては「親バカですが」との書き出しで始まるのですが、要は我が子が描いた絵がとても素敵!という内容でした。私は「良い話だなあ」と思ながら拝読しました。
 手放しで子どもの絵を褒める親心も共感出来ますし、何より後年になって成長したその子が、このノートを手にした時、「当時、親はこんなにも自分のことを・・・!」と思って、きっと感動することでしょう。
 事あるごとに私は「幼児期には『愛されている実感』が大切です」と繰り返し申しておりますが、過去完了形の『愛されていた実感』も同じく大事だなと、再認識しました。

 親ですから、我が子が可愛いのは当たり前。特に生まれてから、幼稚園児くらいまでの可愛らしさは格別です(中高生になっても可愛くて仕方なく思えたら、ちょっとコワイ・・・)。我が子が世界一可愛い、よその子より断然うちの子が可愛い、と思うのが親心ですが、社会的に言うと、それはただの「親バカ」です。
いいのですよ、「うちの子が世界一」と、思っても。ただそれを人様の前で口にする時は、先述した保護者のように「親バカですが」と前置きをするのが大事です。そうすると、誰もが笑って話を聞いてくれます。
 そこで提案なのですが、どうせ親バカならば、「日本一の親バカ」になりませんか。自分の子だけを見つめる狭い親心ではなく、我が子も可愛いけど、あの子も可愛い。ウチの子も大切だけど、ヨソの子も大切、と思えるのが、心が広い「日本一の親バカ」です。
 どうか次回のスポーツフェスティバルの際には、我が子に熱い視線と声援を送ると同時に、他の園児さん達にも等しく熱いエールを届けて下さい。

 話は変わるようですが、今年もソフトバンク・ホークスが優勝争いを演じています。しかし、そのホークスが福岡に来た当初(ダイエー時代)は、毎年のように最下位争いをしていました。
 その頃、平和台球場で観戦して私は、下位に低迷し、その試合も大差でリードされているにも拘らず、試合終了まで熱心に応援を続ける外野スタンドの応援団の姿に感動したのです。「これは親心と同じじゃないか」と。
 世間から「この子はダメだ」と評され、同級生はみんな立派なのに、この子だけは・・・という時でも、親は「いいえ、この子は本当は良い子なんです」と、最後まで言い張り、見放さないのが、真の親心であり、単なる「親バカ」とは次元が異なる姿です。
子ども(チーム)が辛い時、悲しい時、厳しい状況の時に、親(ファン)がどういう態度を示すのか?真の姿が問われる瞬間です。