よく「AIが普及すると49%の職が無くなる(職を失う)」と、マスコミなどで取り上げられますが、今やっている仕事の49%を、AIがやってくれるようになる、と解釈出来るかもしれませんね。
近い将来AIを導入した幼稚園では、顔認証システムと追尾カメラによって「A君は8:57に登園し、15:13に母親のお迎えで降園。その間、教室で4時間25分、運動場で56分、絵本コーナーで34分、廊下やトイレで21分間過ごしました」などのレポートが、すぐに担任の先生の元に届くかもしれません。また、運動場で過ごした56分間の記録が映像として見られ、「A君はB、C、D君らとサッカーをした後、鉄棒で逆上がりの練習をしたんだな」と分かるかもしれません。そんな幼稚園は、きっと園内がこんなカメラだらけになっていることでしょう。

(写真は私が昨年9月に訪問した中国・深圳の街角で撮影した監視カメラ群)

皆様はどう感じるか分かりませんが、私はこんな幼稚園は、どうも嫌ですね。園児を見ているより、「監視」しているみたいで・・・。
話は変わるようですが、この新コロナ禍。
私は戦争に匹敵するような「国難」だと思っています。三月の末、私はこのような時期に幼稚園という小さな組織で、いったい何が出来るのでしょうか?という質問を、ある信頼する方に向けました。すると・・・
「子ども達の歌声、笑い声。それらが幼稚園から流れてくる。それだけで、付近にいる人や地域にとって、どれだけの慰めになることでしょう。幼稚園は地域の灯(ともしび)である、という想いをもって頑張って下さい」という助言を頂きました。
その通りです。国も久留米市も沈滞ムードが漂っています。本園に神様から今の「役割」が与えられているなら、子ども達の存在そのものが持つ力を、存分に発揮させることです。

人間にあってAIに無いものは「命・心・情」です。AIはあくまで数学的演算、統計や確率で解を導きます。計算ではこの三つの正解を見つけることは(今のところ)不可能でしょう。
幼稚園の先生として、また一人の大人としてその命が輝くような生き方が出来る。子ども達に対して「嬉しいね」「悲しいね」「悔しいね」と、心に寄り添う。保護者に対しても「ご心配でしょうね」と共感・共鳴出来る。
そんな先生達であって欲しいものです。逆言えば、そのような心や情が分からない、または無いような先生は、AIに代わってもらった方が、よほど良いかもしれません。
保育技術が未熟であっても、明るく朗らかで、笑顔が素敵な先生は、子どもからも保護者からも人気があります。このことは、いつの時代も変わらないようです。