先日の新聞に東京国際大学・村井友秀教授の「オピニオン」が掲載され、それはこんな書き出しで始まりました。
「街の中であなたが日本人であることを証明してくださいと言われたら、多くの日本人は戸惑うだろう。人種は見れば分かるが、国籍は見かけでは分からない」
確かに国内でパスポートを持ち歩く習慣はありませんから、どうやって証明したらよいのでしょうね。
人間の分類としては「人種」、「国籍」、「民族」と三つあると思います。人種とは白人、黒人、黄色人種などありますが、普通は肌の色など見た目で判断します。また生まれた時から運命的に決められているので、後から自分の意志で変えることは出来ません。
その点、国籍は自分の意志で変えられます。生まれ育った国の歴史や文化、価値観がどうにも自分のそれと合わない、というのであれば国籍を変えるという方法もあるのでしょう(相手国が受け入れてくれるかどうかは、別の問題ですが)。
もう一つの民族というのは、なかなか定義が難しいですね。世界的に一番メジャーな民族は「ユダヤ民族」かもしれません。聖書の時代から特定の地域に住んでいた民族ではなく、世界中にちらばっています。ですから国籍もまちまちですし、外見も多様です。
ただその共通点と言いましょうか、ユダヤ民族の拠り所となっているのは、永い民族の歴史と、そして「ユダヤ教」です。ユダヤ教は宗教的な戒律(きまりごと)が厳しく、それを守り続ける者同士ならではの連帯感や、同一民族感があるのでしょう。
さて日本人あるいは、日本民族とはどんな人達なのでしょう。異論や反対意見があるのを承知して、私の考えを述べます。
第一に「日本語が話せること」。単純ですが、最も大きな要素だと思います。第二は「日本の文化・風習に包まれて心地よさを覚えること」だと思います。
ところで「文化」と「文明」の違いはお分かりになりますか?文明とは世界で共通の価値です。スイッチを入れると電気が点く、アクセルを踏むとスピードが出る、などは文明であって国や人種・民族を超えて誰もが共有出来ますね。
一方、文化はその民族独自のものです。その文化を好きな人もいれば、嫌いという人もいるでしょう。作家の司馬遼太郎さんは、それを「繭(まゆ)のようなもの」と述べてあります。日本文化という繭に包まれて、安堵出来るのが日本人です。
そして第三に「日本ならびに日本人と運命を共有する」覚悟をしている人だと思います。
先のラグビーW杯を観て、つくづく思ったことがあります。日本代表チームには、いわゆる「外国人」選手も多数いました。彼らの多くは上手に日本語を話し、全員が日の丸を身に付け、君が代を歌い、日本のために戦いました。日本という「運命共同体」を信じる子ども達を、今後も育てたいものです。