今月は我が子の成長を祝って(祈って)神社やお寺にお参りなさるご家庭も多いことでしょう。11月15日が七五三とされていますが、混雑を避けてその前後の週末にというご家庭が殆どではないかと思います。
江戸時代から始まった風習とされていますが、保健衛生や医療が今とは比べものにならない水準だった頃、幼い生命ほど危険にさらされていたはずです。ですから親心として無事に三歳になった、五歳を迎えられた(満年齢ではなく、数えですが)と安堵し、感謝の祈りと共にこれからの健やかな成長を、今以上に願ったことだと思います。
赤ちゃんができたと分かれば安産祈願を行い、生まれて間もなくお宮参りをするのが普通です。
子どもを授かったことへの感謝、今後も無事に育つようにと祈るのは当然だと思いますが、私はもう一つ意味があると思います。それは神様(仏様)に対して、親としてこの子を一所懸命に育てます、という決意を神仏の前で表明することではないでしょうか。
七五三詣でに行く際は、このことを覚えて頂けると幸いです。
今から30数年前、私ども夫婦に子どもが生まれた後、教頭とこんな話をしました。
「子は授かりものと言うように、子どもは我々夫婦の持ちものではなく、神様から一時お預かりしている、と考えるようにしよう。僕たちだって大人になって、各々の両親から独立してきた訳だから、この子も将来はそうなる。だからこそ、お預かり期間中に精一杯育てよう」
子どもを親の所有物と思わない、預かり期間に精一杯育てる、という考え方は今でも間違っていなかったと思います。
幼い子どもに「人格」があるとは言いませんが、一人の人間としての「尊厳」はあります。親だから何を言っても許される、ということは決してありません。
私が子どもの頃、特に母親から「あなたほど愚図はいない」とか「そんなことも分からず、よう生きていかるんね」ということを、いつも言われ続けました(実際、そうだったのでしょうが)。その結果、「世の中に僕ほど愚図で間抜けな人間はいない」と思い込み、長い間コンプレックスになっていました。 ですから我が子には、なるべく丁寧なものの言いようを心がけたつもりです。
精一杯育てると言っても、私自身の経験では親から「勉強しろ」と言われてヤル気になったことは一度もありません。だから言いませんでした。やたら本を読んでいる姿を見せたくらいでしょうか。
今振り返って良かったと思うことは、子どもが勉強する時に傍にいてやることです。我が家の子ども達は、ダイニングテーブルで小学校の宿題から受験勉強まで行いました。夜ともなれば、私はそこでお酒を飲み続けていた訳ですが、「へー、よくそんな難しいのが分かるね」と、自分が言われた反対のことを言い続けました。これはお勧めですよ。