「皆さんは子どもの頃、親から何と言われて育ちましたか?どういうことで、何と言われて叱られましたか?」

本園の先生方に向けた研修会で、講師からの問い掛けです。先生方からは、しどろもどろで「優しくしなさい」とか「思いやりの気持ちをもちなさい」等、さほど明確な答えが発せられることはありませんでした。

還暦を越している私などは、明治生まれの父親、大正生まれの母親から「人様のご迷惑になることをするな」、「お天道様が見ている」、「世の為、人の為になることをせよ」、この三つを「耳タコ」のように言われて育ちました。
現在の私が、両親の教え通りになっているかどうかは別として、確かに子どもの頃にかけてもらった親からの言葉は、その子の人生の基盤となるのは間違いないでしょう。
では最近の親は、子どもに向けてどんな言葉をよく発しているでしょう。それは「あなたの好きなようにしなさい」だそうです。
私は「良くないなあ」と感じます。

あたなの好きにしなさい。一見、子どもの人格を認めた、大らかな気持ちのように受け止められますが、一種の責任回避、親から子への責任の押し付けのようにも思えます。
「あなたの好きなようにして良いのよ。ほら、私はなんて理解のある、優しい親なんでしょ。でもね、その結果がどうなろうと、あなたが決めたんだから、私は知りませんよ」という、親にとって都合の良い本音が聞こえてきそうです。
私が思うに、子どもが高校生くらいまでは好きにさせてはなりません。勿論、親子で話し合って子どもの希望や、願いを聞くことは大切です。しかし、話を聞く中で人の道に外れそうなことや、安易な生き方を目指す考えに関しては「ダメ」とはっきり(例え子どもから嫌われても)発言する勇気が必要です。

また同じ講師から「徳を積むって、分かりますか?」との問い掛けに、分かると挙手した先生は、たった一人でした。これにも園長は「がっくし」きました。
世の為、人の為になるような行いを、人知れず実行し続けることが、徳を積むということです。ポイントは「人知れず」ということで、「陰徳(いんとく)を積む」という言い方もあるくらいです。
人前で善行をして「ほ~ら、私は偉いでしょ」と、人から評価を得ようとしたら、それは徳を積むことになりません。

先生方は、身近に徳を積む行為が、園内で頻繁に行われていることに気づかなかったとでも言うのでしょうか。
それは園児がトイレのスリッパを並べている姿です。自分の使った物だけではなく、他の子どもが使った物でも、その場が乱れているなと気づいたら、自ら進んでスリッパを並べている姿は、よく見受けられます。これが徳を積む姿です。常に子どもからも学べる大人でありたいものです。