NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」が現在放送中です。林真理子さんの原作も読みましたが、今後どのようにドラマで描かれていくのか、楽しみにしています。
その舞台となっている当時の薩摩藩では「郷中(ごじゅ)教育」というものが行われていました。郷中とは「方限(ほうぎり)」と呼ばれる区割りを単位とする自治組織のことで、今でいえば町内会単位のグループと考えるとよいでしょう。西郷さんの当時は数十戸を単位として、およそ30の郷中があったそうです。
郷中は青少年を「稚児(ちご)」と「二才」(にせ)に分けて、勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ、今でいう体育)などを通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。稚児とは今風にいうと幼稚園の年長さんから中学生まで、二才は高校生から二十代半ばの青年までを示します。
こんな場面を想像して下さい。そんな稚児たちが、2メートル以上ある石垣の上に立ちます。先ず年長者が飛び降り、次に年下の子たちへ次々と飛び降りるよう命じます。中に飛び降りるのを怖がってモジモジするような子がいたら、周りの者は「泣こかい、飛ぼかい、泣ことかひっ飛べ(泣きますか、飛びますか。泣くよりも思い切って飛んでしまえ)」と囃し立てます。子どもの頃(今も?)意気地なしだった私などは、きっと郷中教育では落ちこぼれとなっていたことでしょう。
この郷中教育では、いろいろな掟(おきて)や規則があるのですが、その中の代表例は「負けるな」、「嘘をつくな」、「弱いものをいじめるな」の三つです。負けるなとは、勝負で相手に負けるなということもあるでしょうが、自分に負けるなという教えも含まれていると思います。弱い者いじめをするなということは、やはり当時も「いじめ」があったことを示していると思います。だからこそ自分より弱い者をいじめる行為は、武士として卑怯なことと戒めたのでしょう。
また、郷中教育では「日新公(じっしんこう)いろは歌」が聖典のように用いられていました。これは薩摩島津家中興の祖とされる島津忠良(後に日新斉と号する)がつくった歌を毎日毎日、それこそ大人になるまで何千何万回と唱えていたそうです。その最初の「い」の歌が、「いにしえの道を聞きても唱えてもわが行いにせずばかいなし」です。
どんなに昔の立派な教えを学んでも、自分の行動に活かさなければ意味も価値も無い、という意味ですが、現代社会でも通じる実践的な教えですね。
西郷さんが生まれ育った鹿児島市加治屋町は、その他に大山巌(陸軍大将)、東郷平八郎(連合艦隊司令長官)、山本権兵衛(軍人・総理大臣)がいて、大久保利通も住んだことがあったそうです。まるで明治維新から日露戦争までを、町内会で行ったようですね。きっと彼らの背骨には、郷中教育があったのでしょう。