助長(じょちょう)という言葉があります。一般には「そうした傾向を助長する」とか「不安な気持ちを助長する」などと使いますね。力を添えるとか、物事の成長や発展を助けること。または、ある傾向をより著しくさせること等に使いますが、どちらかと言うと、あまり良い場面では使わないことの方が多いようです。
この言葉は中国古典からきていて、孟子の故事にこのような話があります。
宋の国に真面目な男がいました。彼は作物の苗を植えて、早く成長することを心から願います。とまあ、ここまでは普通ですが、ここから先が問題です。
隣の畑の作物が青々として育っていく様子を見て、彼はアセってしまいます。そこで彼は自分が植えた苗も一刻も早く成長させようと思って、土の表面から出ている先っぽを、少しつまんで引っ張ってみました。
翌朝、畑に行ってみると、苗はみんな枯れていましたとさ・・・、オシマイ。みたいな話です。
つまり不必要、あるいは過剰な手伝いをすれば、結果はもっと悪くなるという教えです。
私達はこの農夫の行いを笑うことが出来ます。しかし、自分達の子育てについて同じことをしているのではないかと、胸に手をあてて省みる必要は、あるかもしれません。
子どもがオモチャを投げた。「投げたらダメでしょう」と言いながら、それを拾うお母さん。
脱ぎ散らかした子どもの服。「なんで脱いだままにしておくの」と怒りながら、畳むのはお母さん。
宿題のプリントを家に忘れていったのを発見して「まったく、もう」と口にしながら学校に届けるお母さん。
如何でしょうか?「あるあるそれ」とか「言う言うそれ」と、身に覚えのある方が多いのではないでしょうか。
今私は三回「お母さん」と表記しましたが、お父さんにも似たようなことは、ありませんか?子どもに対する愛情と、「過保護」あるいは「過干渉」とは、紙一重であることを、先ずはご認識頂きたいのです。DSC_0107
世の中がどう変化しようと、私は「母性の愛情」と、「父性の愛情」があると信じているのです。東京都のどこかの区が「同性婚」を認めたようですが、それにしてもその二人のうちのどちらか一人が「母性愛」を、もう一人が「父性愛」を示さなければ、二人の間の子は育たないと思います。(理論および医学的には、その二人の間に子どもは存在しないでしょうが、「養子」ということもあり得ますので)
さて、結論。私は「父性愛」とは、厳しさを教えることだと思います。子どもが悲しんでいる、辛そうにしている、親として何とかしてあげたいと思うのは当然です。しかし、そこをぐっと堪えて、「そげなこともあるっさい」(久留米弁)と言い放ちながら、黙って見守るのもオヤジの役目だと思います。