この秋、式年遷宮で人々の耳目を集めた伊勢神宮を先日参拝して参りました。その前日には日本の歴史や神話、また現代の私達にも受け継がれ、今も脈々と流れる「日本人の心」について、深く考えさせられる講義を受けました。

例えば、今年の流通語大賞になるかもしれない「おもてなし」について、このようなお話がありましたので、皆様にもお伝えします。
オリンピックの東京開催が決まった直後、ある百年以上続く老舗の旦那さんは、「ああいう、間違った日本語を外国の方に言っちゃいけない。あれは、“もてなし”と言うんだ。もてなしを受けた方が、結構なおもてなしを受けて…と言うならいいけどな」と、仰っていたそうです。「もてなし」、「もてなす」そう言われれば、なるほどと思いますね。

さてその「もてなし」には三原則が、あるそうです。

その1「見返りを求めない」。私があの人にこうしてあげたら、あの人は私にこんなことをしてくれるのではないかな、などの邪念や打算が無い。

その2「貴賤(きせん)を問わず」。相手の身分が高い場合や、有力者ならばする、そうでない人ならやらない、など対象者による差別、区別が無い。

その3「その動機とプロセスが大事」。あくまでも相手本位に考え、行動する。皆様もご存じの通り、食後の挨拶である「ごちそうさまでした」とは、「馳走(ちそう)」に意味があります。この字は「かける、はしる」ですね。食する人のことを思って、食材を求めて駆け回る。あるいは調理をするために厨房や、台所を走るように忙しく立ち回る。そのように準備してくれた方々の労苦への感謝の気持ちを表す挨拶の言葉です。

 

そのような講義を経て、翌日に参拝に参りました。ご存知のように伊勢神宮には外宮と内宮があり、その順に参拝するのが正しいそうです。今回の私達の一行(全員が幼稚園の理事長、園長だったのですが)は、特別な配慮と幸運により、「これより先は皇族の方しか入れません」という所まで導かれ、神殿の前で正式参拝をすることが出来ました。しかもあろうことか、私は一行の代表の一人として最前列で柏手をうつ、という栄を賜りました。

中には「たかだか築20年の建物ではないか。神宮自体が古いと言っても、パルテノン神殿も、ピラミッドもあるじゃないか」という意見があるかもしれません。しかし世界中のそれら宗教(的)施設は、全て廃墟となっており「跡地」に過ぎません。ごく少なく見積もっても1500年以上、同じ場所、同じ定式や作法で今もなお信仰が営まれている場所(国)は、世界中で日本しかありません。

私はここに日本人の「物を遺すよりも、心を残す」考え方の原点を観た気がしました。私達も子ども達に「物」より、「心」を伝え残してあげたいものです。さて皆様は、どのような「心」を伝えるのでしょう。新しい年を迎えようとする今月、ご一緒に考えてみませんか。