今年もいくつかの幼稚園や、保育園を視察に参りました。体操に力を入れる園では園児が逆立ちをするし、音楽指導に熱心な園では三歳児でも鍵盤ハーモニカを弾きこなし、食育を推進する園では、玄米ご飯に無農薬野菜と、一つひとつを本園のそれと単純に比較すれば、どれもこれも溜め息がこぼれるような差を感じました。
それでも「絶対これはウチの方が勝っているな」と、私が確信するものがありました。それは本園の子ども達と、先生達の笑顔です。本コラムでも紹介したことがある塾の先生は、塾の生徒の保護者に「成績が上がったり、志望校に合格したりする代わりに、あなたのお子さんから笑顔が失われてもいいですか?」と、いつも問いかけるそうです。
もちろん本園でも、常に教育内容の向上に努めて参りますが、その時に本当に大切なものを見失わないようにしていきます。

 さて12月はクリスマスがありますね。本園のある先生が「クリスマスはサンタさんにプレゼントをお願いする日」と、誤った理解をしていたので、急きょクリスマスの由来に関するプリントを作製して研修しました。ご存知の通り、本園は特定の宗教に肩入れする幼稚園ではありませんが、同時にどの宗教に関しても敬意をはらっているつもりです。(例えば海外の慣習でも私は、ハローウィンに全く興味を持ちません。第一「お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ」と、大人を脅すような子どもの言葉は好きになれません)
クリスマスは、キリスト教で救い主とされるイエス・キリストの降誕を感謝し、「救い主がお生まれになって良かったね」と、互いに喜び合う宗教行事です。
「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。全てのものは、これによって出来た。この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中で輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。」(新約聖書ヨハネによる福音書より)
私の好きな聖句の一つですが、ことに最後の「闇(世の中、あるいは人の心の悪い事の象徴)はこれに勝たなかった」というフレーズが、私に勇気と希望を与えてくれます。

子をもつ親にとっての「光」とは、我が子に相違ありません。生きる勇気と希望、そして親としての使命を子どもから与えられ、教えられます。だからこそ、子どもの誕生日は親にとっても「生まれて来てくれて、ありがとう」と、感謝する喜びの日でもあるのです。ですからクリスマスは、その人類バージョン、世界バージョンと考えて頂くと、理解が容易かもしれません。
ともあれ子ども達にとっては、サンタさんからのプレゼントを待ち望む日であることも確かです。日本では25日の朝目覚めると、そこにはサンタさんからのプレゼントが・・・というのが一般的ですが、欧米では12月に入ると家庭内にツリーが飾られ、その元に両親や親戚から贈られたプレゼントが次々に置かれます。もちろんラッピングされているので、子ども達は中身が何であるか分かりません。手にとって、重さや大きさから中身を推測しながら25日を楽しみに待つのが風習だそうです。簡単便利な時代に、「待つ楽しさ」を教えてあげるのも大切なことですね。